【メモ】悪魔崇拝について
最初に
私が好きなのは悪魔の見た目とかそういったところで、角や牙や爪が鋭くて、翼や尻尾があったり、さらには可愛い女性ならいいなっていう意味で好きなのです。
悪魔崇拝について
本当に犯罪を犯して、混沌にするという目的で崇拝する人ってやばいですね。わたしはそういうのではないです。
拗らせて、そっちに向かう集団はいつの時代もありますが。
あくまで、かっこよさや聖典に書かれていることが正しいの?そうじゃないでしょうに。聖職者や神、天使にも邪悪が存在します。
普段から悪に目を向けることで、天の見方や世界が違った形で見えるかもしれません。
邪悪の中に意味があるということが一つの崇拝の理由です。
- 真面目な世界の中に、歪んだ拾われない人がいるということ
- 悪いことや突飛なことをしないと、極論を持ち込まないと前進しないことも時にはあるということ
- 長年の慣例がかえって邪悪ということ
こういったところで、リフュセラというキャラクターが作られました。物語の上で、悪い悪魔らしい悪魔も好きなのでそれはヴィアナがやってくれればいいかなと。
リフュセラは天界の’都合’により地上に落とされた神です。天界の判断がが致し方なかったこと、リフュセラが完全には悪くはなかったことということは一つポイントとして抑えておきたかったところですね。
リフュセラは悪魔ではないですが、角が生えていて、見た目はよく見かける悪魔です。しかし、邪悪ではありません。が、地上に存在することで悪魔が生まれてしまいます。
悪魔を崇拝という表現はあまりいいことではありませんが、悪を否定すると言うか、天が正しいのかを考えるという意味で、真面目に考えておきたいところですね。
綺麗事や都合の良い話はどの世界にもなかなか出てこないのですが。
悪魔は邪悪か?
私の物語でも神話でも登場する悪魔は、基本的には邪悪ではありますね。しかし、それには理由があります。
ひとつに、天界が居心地悪くなったケース。波紋、堕落させられたといったことも。
ここで、悪いことをしたならば罪を償わなくてはいけませんが、その原因が、天界の神であった場合には悪魔にすべて否があるかというと、そうも思えない。
ふだんから杓子定規に物事を型にあてはめているとか、あるいはずる賢くしている他の天使がいて、そいつが原因だったとか。
神話とは人が考えたもので多くは人をベースにしているため、神も悪魔も天気もどこか人間らしいところがあるのです。邪悪な存在は人間でいうと、独裁者?大量殺人者?不正を働くもの?盗みをするもの?イロイロありますが、それが生まれるに至った経緯を考えるとすべて邪悪なのでしょうか?
例え話で、他の物語ですが、
神撃のバハムートでは、種族として描かれているみたいです。
悪魔はいち視聴者からすると、どうも完全に邪悪ではないように思えます。見た目で判断してはいけない。しかし、葬送のフリーレンでの悪魔も、それはそれでただの獣だというのも納得します。
悪魔は面白いし、多様性のきっかけ?
悪魔がいない世界は、みんなが真面目で、いうならばロボット、AIのような世界です。教えでは、これはいけません、こうしましょうといったことが出てきます。
ちょっとしたいたずら、取り返しのつくイタズラは子供の頃にはあります。大人もある程度やってますよね。ただやめてほしいのはありますが、面白いことや突飛なことはほんの少し邪悪な世界から出てくるものではないでしょうか?
こうすると、面白い。危ないけれども、ちょっと常識から外れて新しいことをやってみる。これは天使的でしょうか?うーん、悪魔がやってくれそうな気がしますね。変ですかね?
多様性は悪魔がいて増えてくるのではないでしょうか?ちょっと語弊ありますが。
そういえば、
天使の見た目は好きですが、かわいいし真面目。なんだけれども、飽きそうです。楽しいことを提案してくれなさそう。
あ、でも、キューピットとかはなんだかいたずら的な感じがしますね。行動を起こさせるきっかけ。
面白いことを新しく得るために、ちょっとしたスパイスで、悪魔がほしいなって思うのです。登場人物で、対峙する相手がないと盛り上がりにもかけそうです。
多様性は大事ですね。
邪悪な天使や神・善良な悪魔
ギャップ萌え。可愛らしいのに憎らしいとかいう設定。「愚かな天使は悪魔と踊る」で少し描かれてます。すべてがそうというわけではないですが。そういった描写があります。
ベタな作品はないですね。
神話もなんだか複雑だったり、こういった面があるという、二面性や完全善良、完全邪悪は見かけません。それはそれでつまらなくても例として見たいのですが。
天界、神、天使そのものの否定や、カオスが好きなわけではなく、物語として楽しみたいだけです。甘々なほわほわした天界の日常生活も見ては見たいですよ。ベタな感じのもの。
毎日真面目な天使が神様のお手伝いして、悪いこと一つ起きないのもあり。
自由を手にする
人に迷惑をかけない、人に喜んでもらう形で自由を手にするために、楽しくしましょうでは弱いのですよね。白にグレーを足しても白いままです。
白に黒をしっかり混ぜないと、ちょうどいいグレーにはなりません。
自由を手にするためには巨大な慣例に立ち向かう必要があります。誰かが邪悪にならなければ世界は大きく変わらないのです。
ここで大事なのは、本心は私利私欲ではなくて、悪を演じる存在を崇拝すること。それに近い形で役を演じてみる。リフュセラ、ヴィアナは魅力的です。
ちなみに、悪魔に飽きたら天使も描きたいです。